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虫とり日記3

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2015年 11月 24日

三重の振り返り

何度か行っていると、なんだか身近な県と思ってしまいますが、片道500kmほど。
ちっとも近くありません。

四日市辺りは何時も渋滞してるし、時間もかかります。
でも、ふらっと行ってしまうんだな。

ここに前回の自己確認のウラゴマップhttp://tyou3.exblog.jp/24049990/が有りますが、実態とちゃうなと思い、今回、http://tyou3.exblog.jp/22331362/
と合わせて更新します。

聞きかじった情報と体験したことからのイメージでは、
1.四日市周辺 フツー顔の個体群。数はそれなりにいる。
2.伊賀エリア。奈良へ続く個体群。一般的に少ない。
3.伊勢志摩エリア。白くきれいと言われているエリア、数はそれなり。
4.南限エリア。多分少ないと思われるが情報不足で良く分からない。

今回攻めたのは牡蠣エリアでした。

三重 牡蠣 でググ色々ヒットしました。
宣伝が多いので、ここはウィキが妥当と言う事で、コピペです。
以下青文字 ↓
浦村かき
浦村かき(うらむらかき)は、三重県鳥羽市浦村町の生浦湾(おおのうらわん)で養殖されるカキ。品種はマガキである[1]。
ノロウイルスによる風評被害がきっかけで養殖業者自らが焼きガキの食べ放題を提供し始め、ブランドイメージを高めつつある[2]。

概説[編集]
浦村町は河口に位置し、生浦湾は波が穏やかであるため、エサが豊富にありカキの養殖に適した地域である[3]。このため、種カキの入荷から1年で出荷可能となるまでに成長し、柔らかなカキとなる[3]。なお、浦村かきは1年を超えると渋みが出るとされる[4]。浦村のかき生産量は三重県全体の3分の2に達する[5]。

伊勢保健福祉事務所が構築した「みえのカキ安心システム」に参加している養殖事業者は2012年(平成24年)1月25日現在、49社に上り[6]、浦村かき養殖事業者全体では2010年(平成22年)現在82社に達する[1]。湾岸にカキの加工・出荷工場が立ち並び、「カキ横丁」と呼ばれている[4]。
例年、「牡蠣の国まつり」というイベントを開催し、数万個に及ぶカキの無料提供のほか、カキそのものやカキフライなどの料理を販売している[7]。牡蠣の国まつり実行委員会の主催、鳥羽磯部漁業協同組合の共催で、地元の鳥羽市立鏡浦中学校が協力している[8]。2009年(平成21年)の牡蠣の国まつりには8,500人、牡蠣食べ放題には33,000人が訪れた[9]。


でも個人的には的矢カキと言う言葉を何処かで聞いた覚えが有るので、またググってみた。
ウィキから。
的矢かき
的矢かき(まとやかき、英語:Matoya Oyster)は、三重県志摩市の的矢湾で生産されるカキである。2001年(平成13年)に三重ブランドに認定された。
歴史[編集]
的矢地区でカキの養殖を始めたのは、水産学者佐藤忠勇である[1]。1927年(昭和2年)、佐藤は真珠養殖筏に付着して成長するカキを偶然発見し、養殖に乗り出す。翌1928年(昭和3年)には的矢では当時の他の産地よりカキの生育が早く養殖に適することが分かり、商業化に踏み切った。この時、佐藤は「垂下式養殖法」を確立[注 1]し、「産地直送方式」を採用した。

養殖法の普及と戦時増産[編集]
当時、垂下式養殖法は画期的であったため、全国にこの養殖法が伝播し、1935年(昭和10年)頃には供給過剰となってカキの価格が大暴落した。しかし、的矢かきは産地直送方式であったため、市場価格の影響を受けずに済むこととなった。
第二次世界大戦中は食糧増産の意味もあり、真珠の養殖が抑制された一方、カキの養殖は奨励された。このため、的矢かきの生産高も増加した。
清浄かき[編集]
戦後は一転して真珠養殖が奨励されるようになり、カキの養殖高は減少した。これにはアメリカ軍が「日本のカキは不衛生だから、食べないように」と指示を出したことによるという。この言葉を聞いた佐藤は再び奮起し、生でも安心して食べられる「無菌かき」作りの研究を開始する。1945年(昭和20年)、紫外線で殺菌した海水を利用したカキの浄化法を考案、1955年(昭和30年)に「オゾン・紫外線併用殺菌海水装置」の特許を取得した[2]。この技術は的矢かきのブランド力を一層高め、欧米にも知られることとなった。
2001年(平成13年)、三重県の地域ブランド・三重ブランドの第1号認定の際に松阪牛・伊勢えび・真珠・あわびなどの産品と共に的矢かきも認定され[2]、2008年(平成20年)に更新されている。認定事業者は後述する佐藤養殖場1社のみである。
佐藤養殖場[編集]
的矢湾養蠣研究所
有限会社佐藤養殖場は的矢かきを生産・販売する唯一の業者で、本社所在地は三重県志摩市磯部町的矢889である。紫外線殺菌海水による浄化技術を確立し、「清浄的矢かき」として販売している。志摩市営的矢駐車場(旧三重交通的矢バス停)の近くに本社兼養殖場がある。地元の志摩市立的矢小学校の児童を総合的な学習の時間の一環として行われる体験学習で受け入れている[3]。

県道47号を挟んで向かい側に設置されている的矢湾養蠣研究所(まとやわんようれいけんきゅうじょ、公式英名:Matoya Oyster Research Labortory)は、佐藤忠勇がカキ養殖の研究のため1930年(昭和5年)に設立した私設研究機関で、国際連合のIPFC公認研究機関[4]である。


なるほど、的矢かきは、三重ブランドを得たものなれど、観光客などが訪れてきゃーきゃー騒ぐ代物ではないようで、ググると浦村カキが多くヒットする理由が分かりました。

アレ?ウラゴの話を書くんじゃないんだっけ?
牡蠣はタラフク食べたので、その情報は後ほど書きましょう。


今回の探索エリアは牡蠣エリア、すなわち伊勢志摩近郊となる、美しいウラゴの個体群でした。
まず初めは、かき食べに行こう~♪、by パフィ 渚にまつわるエトセトラを脳裏に浮かべながら走っていると、二見町の標識。海岸べたにおると言われる場所です。
いっぱいおると言う意見から、ゼンゼン見つからなかったと言う報文を読んだエリア、寄りたくなってハンドルを左に切って海岸方向。

なるほど、静岡県御前崎市~浜岡を連想させる環境でした。具体的には、海岸線近く防風林的な林の低木層の中にイボタが有りました。和歌山県では本格的に探していませんが、似たようなものだと想像しています。
記録があるので、アドレナリンの分泌は少量、これは付いているだろうなの1本目でビンゴ、1卵塊発見。
防風林に守られた田んぼのきわにイボタはポチポチ生えており、ラクショーと思ったけれど、初めの1本でしかみつからなんだ。気合が入らず、テキト―になったのが敗因だと思ってます。見逃していると思われますが、
ココは、再び、かき食べに行こう~♪、by パフィ 渚にまつわるエトセトラ
で、鳥羽市浦村町に向かいました。

てなことをしながら鳥羽市浦村町に到着したのは昼前、食べ放題を楽しんでいるであろう牡蠣小屋を横目で見ながら、予約なしで入れそうなお店に入りました。

・・・・・・・・・・・・・・・食事中・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

満足じゃ。

さて、ウラゴを探しましょう。
せっかくだから、浦村町が宜しい。牡蠣食ってウラゴ見つけたと言う思いでラベルを作る為です。
地図を見て、川に沿った道に向かってゴ―。
奥に侵入しようと思いましたが、道が怪しい。
細くなって行き止まりって良くある事で、でかい車を敬遠している所以でもあります。

適当に流しながらイボタを探して行きます、と、発見。
何時ものように無理やり駐車してチェック、みっけ!。牡蠣アンドウラゴのコラボ完成です。追加を狙いましたが、環境しょぼすぎ。
見つかっただけで、よしとしましょう。
この時、浦村町という地名から、旧市町村名は浦村で、鳥羽市に吸収だか合併されて、浦村町になったに違いないと思いました。長野県の上村が飯田市上村町になった事が例としてあげられます。
と、これは間違いで、歴史を紐解くと分かりませんが、少なくとも平成の大合併当時から鳥羽市だったようです。帰ってから調べて分かったことです。

さて、探しながらお宿に向かうかな。突発的伊勢志摩なれど、3連休に路頭に迷うのは嫌なので事前予約していたのは書きました。
最近は、トリバゴも利用してます。ネットでCMしてる奴。
伊勢で検索して出てきた残り僅かな宿の中の最安値、ツインのシングルユースで5200円なり。
手頃&飯付きは満室だったので、飯は外で食べればいいやと、素泊まりのホテルを予約していたのでした。

宿の名前は記憶してなかったのですが、ナビで電話番号検索、リゾートイン磯部。
へぇ?伊勢で予約したつもりが、名前からして磯部町にあると想像されます。
今は志摩町なので、伊勢志摩のくくりでは間違っていませんが、なんだか嫌な予感。
ひとっ走りして、ホテルに到着すると、

やっぱりね。
だと、思ったんだ。

歩いて行ける範囲に、地物の海鮮などを提供してくれそうな店は無さそう。
一杯飲みながら美味しく食べたかったのですが、これは断念せざる得ないとの結論。
ホテル内に店が有るかもと、確認の電話を入れると、

やっぱりね。
だと、思ったんだ。

ありませんでした。

夕食がとれる店を訪ねると、車で10分ほど走るとあるらしい。
田舎道なので10分走行は、時速60kmと想定すると10km。30kmと仮定しても5km。
腹ごなしに歩くにはちと距離が有る。

ここはナビに頼ります。
ジャンル=食べる→海鮮を選択、表示されたお店は少なくとも6km先でした。
行ってみましょう、と走って、実際は目で見つけた小さなお店で、前述のカマスやらウツボを食したのでありました。

久々のお出かけだったので、ことの他疲れていたようで、20時には気絶してしまいました。
せっかくのツインのシングルユースなので、一つにベットの上でテレビを見ながら寛いで、もう一つのベットで寝ると言うプチ・贅沢をしたかったのですが、使ったベットは一つだけ。

これにて、初日終了でした。

by shimabito3 | 2015-11-24 22:21 | Comments(0)


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